境内・建物

本堂

本堂は七間四面の寄棟造りで、竹林を背に落ち着いたたたずまいを見せています。材が不揃いですが、これは二百年余りの本堂新築時に祝融に遭い用材を焼失したためと伝えられています。

御本尊「不動明王」は江戸時代の作と伝えられ、背後の山上に祀られる飯縄大権現の本地仏で、身丈一尺八寸、火焔後背三尺三寸の威厳に溢れる尊姿です。御厨子の上には金胎両部の曼茶羅、両脇には弘法大師、興教大師の祖師像を祀り、大壇を構えています。内陣左側には位牌壇が構えられて檀家各家の御先祖の精霊が※祀られています。

本堂前庭にある「枝垂梅の古木」は、仁王門脇の「二木杉」歴代先師墓地の「大モミジ」と共にこの寺の栄枯盛衰を見守って来た霊木として大切にしたいものです。

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普門寺本堂

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本堂内陣

飯縄権現堂

観音堂左手奥の石段を登ること百四十七段、御神木のスダジイの木をはじめ老木のうっそうと繁る中に「飯縄大権現」のお社が祀られています。拝殿は間口四問、奥行き三問、本殿は一間四面の小さいものですが、その造りは見事な権現造りで、※斗栱、彫刻の数、納まり等、創建当初の姿をそのまま伝えており、文化財としても価値の高い建築物といえるでしょう。

本殿に祀られている「飯縄大権現」の尊像は、火焔を背負い白狐に乗った姿は普通の権現さまと同じですが、高尾山にある烏天狗とは違い、不動明王の顔立ちをしているのが特徴です。額には武田菱の紋所を掲げ、武田信玄公に篤く尊信せられており、当山の栄隆を計らんがため信州飯綱山より持ち来たりて※奉祀せらるると伝えられています。

戦の神、農業の神、特に繭の神として信仰され一月十四日の例祭日には繭玉が奉納されていました。今日では諸願成就にかかすことのできない神として信仰されています。当山と対向する城山の津久井城祉東丘に、飯縄さまの神桐が残されており、戦国の時代の信仰の模様が偲ばれます。

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飯縄権現堂参道口

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飯縄大権現尊像

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飯縄権現堂拝殿

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飯縄権現堂

観音堂

五間四面流れ向拝の総欅造りで、四面板戸、丸住の上には出組化粧折上げに桁が載せられています。堂内は斗拱の上に桁を受け、格天井が廻らされており、床は内外陣共に鏡板張りですが、現在は畳が敷き込まれています。内陣来迎柱前の須弥壇、宮殿の造りは、端正で剛健な構えを示しています。

ここに祀られている木造の聖観世音菩薩立像こそは、当山の院号、観音院由来の本尊で、開山行基の作とも伝えられています。表現の優しい面相や、穏やかな体部の肉取り、浅い衣文表現など、平安後期のいわゆる藤原様式を濃厚に感じさせる作風は洗練されていて、神奈川県に残るすぐれた藤原彫刻の一つに数えられる程です。

当時は「武相三十三観音霊場」の「第二十五番札所」に数えられ、卯歳の総開帳、昭和五十九年開創の「津久井観音霊場第四十番札所」の午歳総開帳、例祭日の四月十四日を除いては秘仏とされ拝するとはできません。

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観音堂

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観音堂正面

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観音堂内陣1

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観音堂内陣2

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聖観世音菩薩立像

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観音堂内陣3

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観音堂内陣4

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観音堂内陣5

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観音堂内陣6

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観音堂内陣7